≪128≫「仕事」と「悟り」
今回は「仕事」と「悟り」の関係について考えてみたい。
「仕事」と「悟り」の関係を考えるとき、
地中海を まばゆいばかりの太陽の光を浴びて疾走する
ヨットをイメージしていただきたい。
心地よい風がほほをなで、カモメが空を飛び、
果てしなく広がる紺碧の海に、白い波頭がキラキラ光り
遠くに緑におおわれた島が見えるという感じである。
さて、ここで海を「仕事」、海面より上を「悟り」としよう。
このヨットの海の部分には、船底だけでなく、
長い大きな錘(おもり)がついている。
実は、この錘がない限り、
このヨットは海上を疾走することはできないし、
一寸した強風で転覆してしまうわけである。
どんな時でも風さえあれば疾走できるのは、
この錘のおかげなのである。
仕事を通じて「十分な自己を確立する」ということが
この錘を形成するということでもあるのだ。
しかし、この錘だけでは何も役に立たない。
ヨットがあってこそ素晴らしき役割を果たすわけである。
このヨットにあたる部分が「悟り」といってよいだろう。
実は、「仕事」における自己確立と、
それをベースとした「悟り」とは
このヨットをつくり上げることそのものなのである。
しかも、作りあげて終わりではなく、いかに疾走させ
自分もその心地よさを感じ、
他の人たちにも心地よく感じてもらうことが大切である。
したがって仕事で自己確立をなし、
その時、その時の悟りを得ることは
ヨットが疾走する準備ができたということに過ぎなく
それからが本当に仕事となるわけである。
ところで、仕事をしていると嫌だなと感じることもあるだろう。
先ほどの海を引き合いにするなら、
海の中のサメやフカ、あるいは汚い浮遊物もあるだろう。
もし、錘が木であったり、
プラスチックや発泡スチロールだったらどうであろうか。
見せかけは錘でも、実は発泡スチロールでできていれば
ヨットを疾走させることはできない。
サメやフカの一撃をくらって破損したり、
汚い浮遊物に絡まって滞留したり、
波にもまれて崩壊してしまう。
やはり錘は堅い金属でなければならない。
すなわち、パワハラで腰砕けるようなものであったり、
他人の評価や誘惑に、自分を見失ったり
社会情勢や環境の変化という荒波に翻弄させるようでは
本物の錘をつくれていない
つまり、十分な自己確立ができていないということだ。
しかしてまた、その錘は
ヨットの大きさに合ったものでなければならない。
仕事における苦難や困難によって、
七転八倒しながら錘を作ってゆくことは大切だが、
仕事に埋没し、ただ忙しいだけの日々を送ってはならない。
職業的発想しかできない石頭になったり、
自我の重みで海中深くに沈没してしまう。
錘に見合った海上のヨットを確立しているか?
それをこそ問わなければならない。
仕事を通じて自分を鍛え、錘を作ることも大切だが、
それが単なる鍛錬にとどまらないよう、
そこから何かを学び、日々にヨットの部分も創り上げようと
意識・努力しなければならい。
では、ヨットの部分「仕事の悟り」とは何なのか?
一言でいえば、
「自分は何のために働いているのか?」ということだ。
自分の生活のため、
家族を養うため
もちろんそれも大切なこと。
しかし、その小さなヨットでは小さな錘にしか耐えられず
荒波に翻弄されてしまうだろう。
大海にこぎだしたいならば、
しかるべき「悟り」を確立することだ。
ただ、この悟りとは、一瞬・一瞬のものであり、
求めても、求めても、
根性を入れ、考え続けなくては
すぐに瑣末な事情に消しこまれてしまう。
中には、
「この仕事は天命だ」と思い続けられる人もあるだろう。
優秀な方だ。
本当に、自分の悟りを祝福していただきたい。
しかし、多くの人は、なかなかそこまで抜けられない。
一瞬は「この仕事のために生きるぞ!」と燃え上っても
誰かのつれない一言で「この仕事は向いていない」と
意気消沈してしまう。
なかには、身を切られるような思いに悩み、
逃げれるものなら、この現実から逃げ出したい
しかし、逃げられないがゆえに、
自分を叱りつけ、耐え忍んでいるという人もあるだろう。
また、責任の無い時期には夢を描けていた人も、
解決しても、解決しても、ゾンビのように襲い来る難問や
それに輪をかけるように複雑骨折した人間関係のしがらみ、
わけもなく結果を求められる重責で
心身ともに憔悴しきっているという人もあるだろう。
時には、見えない未来が、ブラックホールのように
全ての努力を吸いこんでしまうと錯覚することもあるだろう。
しかし、だからこそ、もう一度自問自答してほしい。
「何のために働いているのか」
「何のために、今、この仕事をしているのか?」と。
あなたは錘だけを作りつづけていないか?
あなたの人生は、
錘をつくるためだけにあるのではなかったはずだ。
たしかに、その重い錘には意味がある。
しかし、その錘を、
単なる重石から、
意味あるものに変えることができるのは、
実は、海上にあるヨットの部分なのだ。
ヨットがあるから、爽快に海を走ることができるのだ。
海に沈みそうであるならば、ヨットをこそ思い出せ!
「仕事の悟り」を求めることだ。
まず、その悟りの入り口に向かおうと決意するのだ!
「人生の大半を占める仕事の時間を、
何のために費やしているのか?」
勇気を持って自問自答することだ。
見たくもない、弱い自分も見ることもあるかもしれない。
無意味に過ごした日々に歯ぎしりするかもしれない。
その自分を、過去を学び、意味あるものに変化させるのだ。
正直に自分をみつめ、自問自答できるということ自体が
「悟り」の入り口に立っているということなのだ。
結局、大切なことは、「仕事」と「悟り」のバランスである。
いかにその悟りが壮大なものであっても、
それに見合った努力・精進・蓄積という錘がなければ
ヨットは上滑りし、転覆してしまう。
しかし、単に仕事をこなすだけ、錘だけをつくりつづけたならば
目的を見失い、いつしか海中深くに没してしまうのだ。
自分の過去を教訓とせよ。
もう一度言う。
「仕事」と「悟り」は別ものではない。
それは一隻のヨットなのだ。
あなたの白いヨットが
地中海を まばゆいばかりの太陽の光を浴びて疾走する
果てしなく広がる紺碧の海に、白い波頭がキラキラ光っている。