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『仕事の悟り』 未来への経営
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SAA スピリット・アドバイザー・アカデミー
  【理念】仕事を通して、多様な価値観を統合・融合させ、更なる発展を目指す
  
                       
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≪126≫考える

2009/11/23 11:57

今回は「考える」ということについて。

この言葉を簡単に考え、
自分は考えを重ねていると思いがちである。
しかし、情報に対し、場当たり的に反応していることと
考えることは別物である。

世の中には考える材料は蔓延し、
考えるノウハウも提供されているように思う。
しかし実のところ「考える」難しさは軽減されていない。

むしろ、昔に比べ、より多くの人々が
より近い関係で関与し合っている。
すなわち、昔以上に色々な人々の考え、思い、感性が
交錯している状態である。

しかも、先進国では、
農業人口比率が極端に下がったのみならず、
工業人口比率も下がり、
サービス労働、知識労働者が増えた。
激しく働くことから
賢く働かなければならなくなった。

即ち、この複雑多岐に渡ってしまった現代社会では、
従来の考え方、やり方では、
よき結果が出せないということなのである。

多くの人々が、この現実を受け入れ、
その中で良い仕事をしようと思えば、
「どうすればもっと良い仕事ができるか」
「どうすれば、もっと良い結果を出せるのか」
「イノベーションの方法はどのようにすればよいのか」
ということを、ステップを踏んで考えることが必要だ。

ここで、お釈迦さまが教化する方法・八正道を編み出されたように
この「考えを重ねる」についても、何らかの具体的な方法が
必要なわけである。

このベースには、繁栄・発展することはよいことである。
それは、個人の努力の結果、その個人の幸せとともに
持ち来らされるということがベースであり
それが、一歩一歩先へと進むことができることとなる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「考える」にもいろいろなレベルがあり、
そのレベルに応じた、考えるステップが必要となるが
ここで、繁栄・発展する基礎となる「考え方」について
ふれておきたい。


(1)幸福

考える大前提として、
まず、「幸福」という定点を持つこと。

目の前にあることを場当たり的に考えていると、
条件反射的に考える癖がついてしまう。

何のために考えているのか?

それは、なんらかの幸福を得るためである。

ものごとを本質的に考える癖をつけるためには、
本質である「幸福」に依拠し、考えを進めていくことだ。
そうすれば、目的を見失った瑣末な考えに終始することなく
幸福という成果を上げる、効率的な考え方ができるようになる。


(2)拡学

拡学とは、自己拡大のための学びである。

拡学には「自分から学ぶ」と「自分以外のものから学ぶ」
という両面がある。

「自分から学ぶ」とは、経験を通じ、自分がどのように
考え、対応してきたかを客観視することだ。
これにより、自分の考え方や行動の癖がわかる。
この「癖」の部分から長所・短所を分析することで、
自己の強みを生かし、失敗を未然に防ぐことができる。

「自分以外のものから学ぶ」とは、
自分をとりまくあらゆるものから学ぶことだ。

今日、縁あって手に取った書物、縁あって出会った人々、
縁あって出会った言葉、縁あって目にした風景・・・
すべてが偶然ではなく、
何らかの縁があって自分の今日一日がなりたっている。

この自分と自分以外のものを結ぶすべての縁から
学びきる姿勢をもつことだ。
ここに、「今の自分」が「幸福」という成果をもたらすための
テーマ、課題、答えがある。

このような、拡大的自己形成のための考え方「拡学」により、
考えを革新し、発酵させ、
幸福という成果をもたらす考えを身につけることだ。


(3)信耐

信耐とは、信じて耐えることだ。

成果を信じて、時間を耐える。
変化を信じて、継続的に努力しつづける。
相手を信じて、寛容さを持ち続ける。

このように、忍耐の前提には「信じる」ことがある。

信じるという価値を忘れた忍耐は、
ただの停滞である。

信じるという価値を忘れた忍耐は、
世の中に価値あるものを生み出すことは難しい。

同じ時間を耐えるならば、
同じ努力を続けるならば、
そして、真に寛容であるならば、
その根幹に「信」を内在するものであることだ。

この「信」なるものに変化するまでの時間を耐えること
それが、幸福という成果をもたらすための「信耐」である。

信耐に基づき、考え続けること

これを堅持することが、成功する肝ともいえる。


(4)考行

孝行と似ているが、「考」行である。

考えに基づき、実践すること。
そして、実践に基づき、考えを重ねること。

考えは、それを世の中に発信し、行為することで
拡大することができる。
そして、その結果により、更に考えを重ねることができる。

幸福に依拠する考えであるならば、
それは、幸福を拡大させることに等しい。

考えを行動に移すとき、
その時、考えのエネルギーの質的変化が起こる。
つまり、目に見えないものが、目に見えるものになるのだ。

このエネルギー変換こそが、この世に生まれた醍醐味である。

失敗を恐れることはない。

なぜなら、その考えは幸福に依拠しているからだ。
幸福のために考えたことを実践して、
どうして不幸になると思うのか?

もし、やりかたが間違っていたら、
そのやり方を改めればよい。

世の中に認められないなら、
認められるよう努力すればよい。

それが、幸福に依拠するものであるならば、
何度でも挑戦する価値がある。

挑戦し続ける自分を振り返るとき、
幸福に依拠する考えというものは、
これほど力強いものであったか・・・と思い知るはずだ。

だから、その考えは成功するのだ。


(5)感謝

そして、すべての考えが幸福に依拠するものであるならば、
必ずや、その中に充実感や感動といった心の動きがある。
そして、その心の動きを与えてくれたものへの感謝がある。

もし、感謝を失っているとしたならば、
その考えは形骸化し、エネルギーを失ったものである。
その原点であり、その目的であるところの幸福を見失っている。
まず、感謝は、その考えの目的とするところがずれていないか
点検することができる。

そして、幸福に依拠する考えであるならば、
そこにエネルギーを投入する価値がある。
この考えに、エネルギーを込める方法、
その秘訣こそが、また、感謝である。

幸福という目的の点検および目的に向かう推進力
このように、幸福をもたらす考えを重ねるため
感謝は必要不可欠な要素である。


以上、考えを重ねるステップについて、概要を述べてみた。
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≪125≫眠れる力

2009/09/22 16:11
眠れる力

■自分に、こんな力があったのか!?

ともすれば、日常生活に埋没していると、
「日常生活という枠の中」でつくられた自己イメージが出来上がる。
そして、「自分の力はこのぐらい」と、
日々に培われた先入観により、自己限定しがちである。


こうして、知らず知らずに自己形成した
「日常の自己」という概念に縛られ、
自分の能力を過小評価し、
使わずじまいで封印している。
そうだとしたら、もったいないことだ。

自分に、こんな力があったのか!!

私が、そう、気づいたきっかけは、
「手術」という非日常的な経験だった。
私の中には、私の知らない力が眠っていたのだ。


■生命の力

(1) 手術の日

この夏、私は開腹手術をした。

患部を摘出する際、患部が尿管に癒着しており、
尿管を切断するという、オプション付きだった。
膀胱に新たに穴を開け、尿管を通す手術も追加され、
想定外に長時間の手術となった。


手術後、全く体を動かすことが出来なかった。
寝巻きが冷汗で湿り、身を縛りつけ、まるで拷問のようだ。
しかも、縛りをほどこうと身動きするだけで、
容赦なく激痛が襲ってくる。
唯一の救いであるナースコールも、・・・手が届かない。


闘病生活にあったあの人は、こんな痛みや苦しみを
経験していたのだなぁ・・・。
この辛さが分かっていれば、もっと優しく接していたのに。
などと、朦朧とした頭で過去の自分を反省した。


自分に出来ることは、じっと呼吸を繰り返し、
ただひたすら時間を耐えることだけだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)手術の翌日

翌日、私は、心底驚いた。


体が動く!?


昨日は死んだナマコのように
横たわることしかできなかった物体が、
ベッドの柵につかまり、少し体を右に傾けてみると、
左側の肩が少し浮かび上がる。

一時間もすると、ベッドの柵をつかみながら、
寝返りが打てるようになった。
そして、数時間後には、柵につかまりながら、
起き上がれるまでになったのだ。


一時間ごとに、出来なかったことが、出来るようになる。
急速に、しかも目に見えて回復している自分の体が
不思議で、不思議で、たまらない。


日ごろ無理ばかりさせていたにも関わらず、
私の中の小さな細胞たちが、
文句も言わず、私の体を回復させるために働いている。
治癒力を全開にして頑張ってくれている。
細胞の一つ一つが愛おしく、感謝の気持ちが込み上げてくる。

と同時に、細胞たちの持つ神秘の力を、
これまで過小評価していたことが恥ずかしく思えてきた。


自分には、こんな力が眠っていたのだ!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)その後

その翌日、ベッドの柵を握りしめ、
少しふらつきながらも、私は、立ち上がった。
激痛が走る腹筋を押さえ、前かがみのまま2mほど歩いた。
凄い!歩ける! 自分の回復力に感動した。

その翌朝、病棟内を少し散歩できるまでに回復した。
切断したはずの尿管も、すっかり回復し、血尿もない。
手術から一週間後、全ての機能が復活し、晴れて退院した。

たった一週間で、こんなに回復することが信じれなかった。
しかし、私だけでなく、同様の手術を受けた人たちは、
皆、一週間程度で退院している。

私たちの肉体には、神秘の力が備わっているのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今まで、自分の力を過小評価しすぎていたことを反省した。


たとえば、風邪をひけば熱が出ると思い込んでいた。

しかし、生命の力は、そんな弱よわしいものではない。
事実、微動だにできなかった自分が、
一週間後には、何不自由なく歩き回っている。
手術の傷跡は、見る見るうちに治っていく。
これが、生命の力なのだ。

もしかすると、自分の力を、
「自分の思い込み」で弱めていたのではないだろうか?


自分の知らない自分の力、
自分に見えない神秘の力、
自分には、まだ「眠れる力」が宿っている。
この力を、自分の思い込みで封印してはもったいない!

そう、考えるようになった。



■自分の力    

退院後、自分への既成概念、自己限定の枠は、
日常生活の至る所に存在していたのではないかと考え、
「自分の限界」を、疑ってみることにした。


たとえば、仕事において。


日々に新しい仕事に接し、レベルアップが求められる。
しかし、思うように自分は成長していかない。
もっと記憶力の良い頭脳があれば・・・
もっと脳神経のコンビネーションがスムーズになれば・・・
もっと仕事能力が高ければ・・・
嘆くことは山のようにある。


しかし、しかし、しかし、
本当に、「出来ない?」のか。
思うように出来ない、それが自分の実力なのか?
・・・と疑ってみる価値はある。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドッチボールで、四方八方からボールを投げられると、
全部が受け入れられないと思いこみ、
受け取る前に、まず身を固くして柔軟性を失う。
これでは臨機応変に身動きが取れない。


同様に、仕事も「出来ない」と身を固くしてしまうことで
出来るものまで、出来なくなってしまうことがある。


たとえば、忙しい時に限って、ミスをする。
そのミスを修正する時に限って、またミスを積み重ねる。
こうして、ミスのミスを修正するために、
上司やお客様の手を煩わせることになり、
ほんのちょっとの出来事が、
ウンザリするように面倒なことになる。


このミスの引き金になった時点を観察すると、
その仕事を、「嫌だ」とか「出来ない」と認識し、
仕事をする以前に、身を固くしていることが多い。


ならば、自分は本当に「出来ないのか?」
「出来ると思えばできるのではないか?」・・・と
その瞬間に自分が設定した限界を、疑ってみる価値はある。


どの道、逃げることができない仕事であるならば、
「出来ない」と思って身を固くするより、
「とりあえず自分に出来ると思い込もう」と考えてみる方が、
幾分か前向きである。


こうして、退院後の一ヶ月、
難しいと思っていた仕事にも、
「本当に難しいのか?」と疑って、手を広げてみた。


すると、意外に出来ることが多いのだ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

できることが増えると、仕事もどんどん増える。
すると、また、自分の限界を超えていると感じ、
圧迫感で思考がフリーズする。


そこでまた、「この仕事量が限界なのか?」と疑ってみた。
「出来るかもしれない」と思いなおし、
もう一度同じ仕事に手をつけてみる。
すると、不思議なことに、
あれほど時間がかかっていたことが、すんなり片付く。

これは、意外だった。
やはり、自分の思い込みで、
自分の能力にタガをはめていたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、個人的な見解であるが、
「出来る!」「出来る!」「出来る!」
と念力を使うほど、リキまなくても良いと思う。


「出来る」のが当然と思うと、出来なかった時の逃げ場がない。
これがプチうつの原因になりやすい。

更に、無理やり実現しようとすると、
目的成就のために手段を選ばない傾向が出てくる
この無理がたたると、人間関係、肉体、金銭面等のどこかに
歪みやキシミが生じやすい。

要は、体が固くなってしまわないこと。
臨機応変に動けるような、柔軟さを持てることである。
そのために、自分が思い込みで作った
心が頑なになる境界、「自分の限界」という枠を疑ってみる。
「もしかしたら出来るんじゃないか!」
「まだ眠っている力があるんじゃないか!」と期待し、
実際に一歩踏み出してみること。

ダメもとでやってみたら、意外にイケた。

この繰り返して、出来ないと思っていた枠を超えること。
枠を超えられる自分を喜ぶこと。
そして、眠れる力を引き出すことを楽しむこと。
これが、昨日までにはなかった新しい自分を創造する
推進力になっていく。

「出来るんじゃないかな?」
この一呼吸が、人生を変えるキッカケになるのかもしれない。


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≪124≫価値について考える

2009/07/21 04:27
■自分の評価

「自分の価値とは、一体、何なのか?」


あなたは、自分の価値について、
どのくらい考えたことがあるでしょうか。


自分の価値とは、自分の本質です。
生きていることの意味と、言い換えることもできます。


人間は、必ず、今、生きていることに意味があり、
なんらかの価値を生み出す「可能性」を有しています。


そして、実は、人間の価値とは、考えるほどにその輝きを増し、
その輝きに応じて、その価値を実現するチャンスが
吸い寄せられてくるものなのです。


しかし、あまりにも多くの人が、無意味な日常に忙殺され、
この大切な価値について「自分で考える」という努力を
怠っているように感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・

中には、上司など人事権を持っている人の評価に
異様とも思える神経を使い、客観的評価のために、
他律的ともいえる人生を送っている人もいます。


しかし、他人の評価や肩書でしか、自分の評価ができない
という人生は、あまりにも空しすぎます。


「自分」の評価を、他人に委ねることは、
ともすれば、焦りや苦しみの原因になりやすく、
虚栄・みせかけの人生を歩むきっかけとなりやすいからです。


苦しみの理由は、
相手が自分のことを「100%理解できない」ことにあります。
たとえば、土の中で、どんなに成長していても
発芽して、芽吹くまで、他人の目には理解できません。
どんなに正しくとも、理解されるまでのギャップが生じます。


そして、虚栄・みせかけの理由は、
100%理解できないからこそ「嘘がつける」ことにあります。

もちろん、他人の評価は、自分を映す鏡であり、
自己を客観的に把握するための、重要なアイテムです。
鏡なくして、自分を知ることはできません。

しかし、鏡の前では、化粧を施したり、
補正下着でスタイルをごまかすこともできるのです。

こうして、嘘で塗り固めた人生を積み重ねると、
その虚飾の世界におけるしがらみが生じ、
ありのままの自分で生きることを、
難しいと感じるようになります。


だからこそ、
勇気を持って、自分の価値を「自分で評価」することです。
嘘のつけない自分に対し、
ありのままの自分をさらけだすことです。

ありのままの自分を評価するからこそ、
それから先の成長も正しく評価でき、
成長に伴う幸福も、正しく実感することができるのです。



■仕事の評価

次に、「仕事の評価」について考えてみます。

仕事の評価は、どのようになされているのでしょうか?
自分の仕事の価値とは、どのようなものでしょうか。


世の中の仕事の多くは、業績の数字で評価されています。
たとえば、売上高や利益など、
必要とされているものを供給しているという価値を
合理的な数字で評価する方法があります。
つまり、お客様にいかに評価されているかということを
数字で検証するという方法です。


そして、上司の評価、会社の内部で、
自分の仕事を評価し、完結する
・・・という狭い世界もあります。

トップが交代すれば、
会社の方針や、求められる要素も変わってきます。
そのたびに、自分の仕事の価値が変わるのでしょうか?
しかし、あまりにも多く、しかも強固に、
「会社内部の理論で仕事を評価する」という手法が
蔓延っているように感じます。


更に、自分で自分の仕事を評価するという方法もあります。
自分は、自分の仕事を評価しているのか?
つまり、自分は、仕事が好きなのか?ということです。


余談ですが、「仕事が好き」という評価は、
評価する主体のレベルによって見え方が変わります。
どのレベルで評価するのが良いのでしょうか。


たとえば、「好きであるからこそ、情熱が湧く」という
幸せな人もあります。
この方は、今すぐにでも評価できるレベルにあるといえます。


しかし、好きで始めた人よりも
なりゆきで今の仕事に携わっている人のほうが多いでしょう。


仕事を評価する前提として、まず大切なことは、
「仕事を好きになろうと努力したのか?」という主体性です。
「自分の仕事が好きになるほど、努力したか」ということです。


好きになる努力をしたけれども、好きになれないならば、
その仕事は自分にとって「価値がない」と判定できます。
部署を変わるなり、転職するなり、何らかの手段が必要です。


しかし、好きかどうか判断できるほど「仕事をしていない」、
ということであれば、評価の前に、まず仕事をすることです。


この仕事で、何を、自分の課題とすればよいのか?
お客様から、何を求められているのか?
その仕事でしか学べない「なにか」を探究し、極めつくすことです。
そして、その仕事を通じて「自分」というものを積極的に
変幻変化させることです。


この変幻変化が「成長」として喜べるものであれば、
それは、自分にとって価値ある仕事であるといえます。


このように、仕事の価値も、いろいろな評価主体があり、
いろいろな評価方法があります。


■価値を発見・創造する「感謝力」

実感しやすい「自分」と「自分の仕事」という面から
「価値」と「評価」について考えてみました。


価値を正しく評価することは、非常に重要です。
今後、「価値評価」への需要は、益々高まってくるでしょう。
なぜなら、真に価値のあるものは、ある程度の淘汰を通過し、
素晴らしいものとして残る可能性が、極めて高いからです。

しかし、価値を見出すには、それ相応の認識力が必要だと
いうこともご理解いただいたのではないでしょうか。
価値を評価するには、埋もれた価値を見出す目利きであり、
しかも、それを掘り起こし、発芽させる能力が必要だからです。


ここでひとつ、ヒントがあります。
埋もれている価値を掘り起こすカギも
その価値を実現させるカギも、
実は「感謝力」が万能のカギとして作用するということです。

まず、感謝力で、眠れる価値をひきだすことができます。

人生も、自分だけが選び取っているのではなく、背景には、
数多くの人が苦心し、努力したという経緯を内包しています。
感謝力により、この眠れるエネルギーを照射し、価値を測り、
そのエネルギーが作用する未来を計測するのです。
つまり、すでに起こった事実である過去は、未来の種を内包
しています。感謝力により、この価値を評価するのです。


更に、感謝力は、次の変化を生み出す機動力にもなります。

不足を言えばきりがない・・・それでは、ただの人です。
感謝の発見能力が劣化していることが、
仕事に情熱が湧かない理由です。
仕事からすべてを学びきろうと思えない理由です。

この仕事をさせていただいている、
そのために、どれだけ多くの方のお力添えがあったか、
どれだけ多くの人の努力の上になりたっているものか
生かし、育ててくださった両親がいる、
自分に生きる指針や、教訓を与えてくださった
自分を引き上げてくださった方がおられる。
自分の仕事を認め、報酬を支払ってくださるお客様がおられる。
お客様に感謝される場を与えてくださった、今の会社がある。
それに気づき、感謝したならば、
現在の仕事に不平不満を持っている場合ではないのです。

この「感謝力」が、自分の仕事に対する情熱の源となり、
今までよりも、何らかの付加価値を持つ仕事をなし、
素晴らし世界を生み出す使命感の源となるのです。


以上、今回は価値と評価、そして価値を高めるための「感謝力」
について考えてみました。何らかのお役に立てば幸いです。
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≪123≫不完全を前提として生かされている

2009/03/22 10:25


「人間は、不完全であることを前提として、
その存在を許されている。」


これは、驚きの事実です。


不完全であるということは、
自分以外のものを必要としているということであり、
生きている、ただ、それだけで、
他のものの力をいただき続けている存在だということです。
そして、それでも、なお、存在を許されている
この事実を深く鑑みるとき、生かされていることに謙虚になれます。


誰の世話にもなっていない
誰の力も借りていない
自分ひとりで生きている

こう反論される方もあるかもしれません。



しかし、考えても見てください。
人間は、なぜ食べ物や栄養を必要とするのでしょう?


小麦や野菜、果物、お肉・・・
何かを口にし、消化し、吸収することで、
はじめて、人間は生きることができています。



何か
を食べないと生きていられない



しかも、果物は吐き気をもよおすほど不味く、
穀物は、それを食すると頭痛をおこす・・・そのように、
人間に食べられることを拒絶する存在ではありません。
あくまで、美味しく、栄養に満ち、エネルギーとして変換し易い
「食べられることを前提として」存在しているかに思えます。


こうして、自分ひとりでは生きてゆけない存在が、
生かされている。

不完全な存在であることを前提として、
生かされている。

そして、不完全な存在であることを許され、
その不完全さを互いに補う形で、
世界が創られている。


この事実を深く深く味わうことで、
自然に、自分の存在というものを
謙虚に考えるようになってくるのではないでしょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、老婆心ながら、
「謙虚さ」と「自己否定」の違いを述べておきましょう。


不完全な存在であるということを認めても、
その不完全さが許せない「潔癖症の性格」の人がいます。


なぜ、このように、自分は何かを犠牲にしながら生きているのか?
なぜ、傲慢で、間違い多き人間なのか?
自分が存在することが、そもそも罪なのではないか?


そのように、自己否定することもできるでしょう。


しかし、ただでさえ、不完全にして、生かされている存在が、
自らの不幸や自己処罰の念で生きたからと言って、
何も産出さず、誰もメリットを享受することはできません。



実は、「自己否定」の深層心理は、「自己愛」です。
「自分が不完全なのは自分のせいではない。
自分としては完璧を求めている。
自分としては何も犠牲にせず生きたいと思っているんだ・・・」と
自分を正当化させるために、
他の人の目線に先立って、自己防衛・自己否定をしているのです。


誰も責めてはいないのに、
「正しき自分」が、「弱き自分」を先に責めることで、
正しき自分の正当化、論理武装をしているのです。


このように、他人に責められる前に、
自己内部に育てた他人の目線(他人が正しいと考える自分)で、
先立って自分を責めることで
実は、無意識に自己防衛している、それが「自己否定」です。



結局、自分のことしか眼中にないのです。



しかし、「謙虚さ」には、他者への感謝があります。


不完全であることを自覚し、
その不完全なる自分が、あえて生かされているならば、
自分を育んでくださっているもののために、
何かプラスを生み出そう!
世の中に、生かされていることへのご恩返しをさせていただこう!


このような考えに至るのが、謙虚さです。


そして、謙虚さは感謝を含むがゆえに、
素直にして、自分を飾らず、
一つ一つできることからプラスを産出すという
プラスの歯車を動かし始めるのです。



不完全な存在であることを前提として
生きることを許されている・・・と感謝すること。


だからこそ、不完全な存在としての謙虚さを持ち、
世の中にお返しをしていこう・・・と考えること。


これは、とても心穏やかにして、
しみじみとした幸福を味わうことのできる
心の処方箋なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、不完全な存在としての謙虚さと、
多くの協力をいただいていることへの感謝を持つ人は、
実は、思いがけない成功をもたらすことが多くあります。


その心の穏やかさは、他の人にとっても心地よいものであり、
安心感をもたらすからです。


例えば、成功しよう、成功しようと
出世欲や名誉欲でギラギラしている人を考えてみてください。


その人も、不完全な存在であり、
その人の成功は、なにかの犠牲の上になりたっています。


しかし、その成功に至るまでの
多くの人の支えに感謝することもなく、
自分の力で成功したと思い込んでいる人ならば、
その傲慢さゆえに、
他の人にとって不愉快な存在に感じられます。


そして、成功へのエネルギーが枯渇し、力を失いかけたとき、
機会があれば、失脚させたいという
否定の集合想念の渦に巻き込まれ、あっという間に沈んでいきます。



しかし、感謝と謙虚さは、
他の人にも心地よい温かさを持ちます。

それは、まるで春の日差しのように、
人間的な温かみを持ち、成長のエネルギーに満ちています。

そして、人々は、安らぎを感じ、共感したくなります。

心地よい存在だからこそ、
その人の成功を、多くの人が肯定し、
協力してくれるようになる。


心地よいものには、もっと存在して欲しいと思う、
それが、人間の心理であり、
だからこそ、多くの協力者があらわれ、
我ならざる力によりて、
その人が成功の軌道を歩むことができるのです。


それが、謙虚さと感謝に満ちた人が
自然に成功していく理由です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして「不完全さの自覚」のもう一つの効用として、
「ありのままの自分」「ありのままの他人」「ありのままの現実」を
肯定する、心の余裕が生まれる・・というものがあります。


そもそも、不完全なる存在として許されているならば、
何ゆえに完璧を求めるのか?
自分にとっての完璧さなど、
広大な許しの世界、包容の世界において
小さな砦に立てこもってガンジガラメになっている
偏狭な自我でしかない!

このような心境に至ることができるのです。



そして、自分の中にも、不完全さをも受け入れる「包容力」
ありのままを肯定する「心の余裕」が醸成されてくるのです。


そして、この「心の余裕」は、素直な問題認識に繋がります。


そもそも不完全な存在であると知っているからこそ、
完璧でない理由を素直に受け止め、
改善のための愚直なる努力を、
コツコツと実行することができるのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

不完全であることを前提として
存在を許されているということに関して述べてみました。

時折、この考えを持つことで、
ガンジガラメになった心を解きほぐし、
生かされている、ということ自体が幸福であるということを
考えてみるのもよいのではないでしょうか。


ただし、「許されている」という甘美さから、
最初は、感謝から報恩の力に至っていたものが、
現状への満足、停滞、という甘えの構造に繋がり易い
という傾向を持っています。
あくまで「感謝からのお返し」というプラスを産出す行為に至って
この思考が威力を持つものとなる、
・・・ということも述べておきたいと思います。


以上、何か一つでも、お役に立つことがあれば、幸いです。
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≪122≫「今」というチャンスを無駄にするな!

2009/02/01 17:36
こんなチャンスは、二度とない!


そう、声を大にして叫びたい!


マスコミは、なぜ、悲愴感ばかりを漂わせるのか?
なぜ、自らの力で成功する者を叩くのか?
なぜ、人々の依存心を煽り、無力化させるのか?
なぜ、自ら立つ力のある者が、援助・救済ばかり求めるのか?
なぜ、目先の欲に捉われて、欲のもたらす結果が見えないのか?


しかれども、今、このときこそが、
新生のチャンスでもあるのだ。


世の中が暗くなり、
自ら立てる者ですら、
当然のごとく支援・救済を叫ぶ。

そして、そのような「タカリ精神」に嫌気を感じ、
正常な感覚を有していた人達までもが、いつしか、
「この状況を、どこかの 誰かに 何とかして欲しいものだ」と、
「不満」を言い、解決を、どこかの誰かに「依存」する。


こうして、全ての人が他の人に救いを求め、
世の中全体が、暗闇に沈んでいくかに見える。


しかし、世の中には、一つの流れがある。
それは、暗くなればなるほど、
暗闇に身をゆだねる人の数も増えるが、
逆に、その状況に危機感を覚え、自ら立ち上がろうと
決定する人たちが生まれるという流れだ。


依存する人も、依存される人・企業・国も、
ともに溺れる危険におおわれはじめたとき、


「このままではいかん!」と
本物が目覚めるのだ。


世の中が順調に進み、特段の努力なくとも無難に過ごせるときには、
意外に「本物の出番」というのは少ない。

しかし、
自分は、正義のヒーローだという自覚もなく、
どこかの、誰かが、やってくれるのだと思っていた者が、
目の前で、大切な人が溺れかかっている!
そう気づいた時、
突如として、本来の使命に目覚める。


このように、
危機とは、ある意味で
本物が目覚めるチャンスでもある。


百年に一度の危機
ならば、一生に一度の大チャンスではないか!!

この「今」というチャンスを
無駄にしてはならない。

・・・・・・・・・・・・・

考えても見れば、
新しい商品、新しい価値、新しい発想、新しい文明
こういったものの多くは、
なんらかの危機や逆境の中から
産出されたものが多い。


発明、創意工夫、新しき考えというものは
ギリギリの線で生まれることが多いからだ。


無我夢中という、「我」ならざる状況が
仏教で「無我」という、
インスピレーションを受け易い状態を生み出すからだ。


ちなみに、無我には、
静寂における無我と
行動における無我がある


静寂における無我とは、
いわゆる座禅等の修行によりて、
心の波立ちの原因となる「我」を断つ修行である。


そして、行動における無我とは、
我ならざる人のために、考え、行動し、貢献していく中で、
いつしか、自分への評価や賞賛を忘れ、
ただ、他の人の幸福を願うようになることである。


自分が生きているのではなく、
必要とされる使命を果たすべき者が
使命そのものとして生きることで、
「自分」という小さな殻を超えることができる。


名前が何で、生まれや肌の色はこうで、
両親が誰で、育ちはどうで、
学歴や過去の実績はこうだった・・・と、
自分を規定してきた「レッテルのある自己」から、

「従業員の生活を護る人」
「お客さまの幸福を実現し続ける人」
「この問題を解決する人」
「道を示す人」
「新しき流れを生み出していく人」
「未来に対して責任を持つ人」・・・

このように、使命を基点として考え・行動する人に変わる。
これが、行動における無我である。


結局、何が大切であるのかというと、
「誰がやったのか?」ではなく、
「何が解決されたのか?」
「何が実現したのか?」
「何が誕生したのか?」


つまり、
「使命が実現する」「目的をやり遂げる」ことが大切になる


これが、行動において無我なる人の特徴である。


そして、行動における無我に必要なものは、
「空手にして立つ」覚悟。


生まれてくるときには、何も持っていなかった。
この生命ですら、自分で生み出したものではなく、
授かったもの。
すべて無かったもの。


だからこそ、失うことを恐れず、
多くを与えてくださった方々への感謝を
今こそ、かたちにしていくこと。



経済的苦境も、
あなたが、使命として生まれ変わるための良いチャンス。

自分達さえよければ問題ないとする傲慢さ、
国や社会など、他者の救済を求めるタカリ精神
アメリカへの依存的体質、
世界第二位の経済大国にして、
いまだ救ってもらう側に立とうとする無責任さ。


大恐慌時代の大統領フランクリン・ルーズベルト曰く
The only thing to fear is
to fear itself.

恐れる理由は何か?
それは、自己保身以外の何ものでもない。

今、この時に断つべきは、「自己保身」である。


「自己」の枠を超越すること。
百年に一度の危機的状況というならば、
今が、その最大のチャンスである。


「自己中心的発想」を掴み捨て、
「自己保身」に起因する恐れを超越し、
「自我我欲」を超越する「使命」として生きること。
その、新生のチャンスが、今、このときなのである。


世の中は変わっている。
昨日までの自分を捨て
自己変革を阻害する、怠惰なる心を捨て、
世の中に求められる存在として新生するチャンスなのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、一番大切なものは何かというと
実は、「時間」である。
今、この、貴重な時間を無駄にしてはならない。


世界が膨張しているときは、
たくさん掴んだと思っても、
膨らまし粉で膨らんだスポンジケーキのごとく、
得ているものの実質は少ないこともある。

しかし、収縮しているときには、
智恵も、エネルギーも凝縮されている。


「今」という時は、変革、発明、創造、
すべての新しい流れのエネルギーが凝縮されたとき、
新しいものが生まれる大チャンス。
この同条件における時間は、二度とない。

今こそが、飛躍のためのエネルギーを蓄えるとき。


この、チャンスの時代を無駄にしてはならない!


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≪121≫ 考えるコツ 厳しい時代を乗り越えるために

2008/12/14 23:27


厳しい環境の昨今、次から次へと襲い来る想定外の出来事に、
時には、辛く、投げ出してしまいたくなることも
あるかもしれません。


それでもなお、頑張り続けておられる皆様に、
力一杯のエールを送ると共に、心から感謝申し上げます。


この厳しい時代にあって、あらためて過去を鳥瞰してみると、
恐慌、戦乱、飢饉・・・など、
人々が、幾多の逆境を乗り越えてきたことに感銘を覚えます。


厳しさを乗り越え、不断の努力を続けてきた、
その結果、今があるのです。


そこで注目すべきは、厳しい環境下にあっても、
その環境を乗り越え、強くなり
次の時代を牽引する人が必ず存在する・・・という事実です。


そして、時代や、置かれている立場に違いはあれ、
その人たちには、共通点があります。


それは、「考え方」です。


前向きな「考え方」によって、
どんな環境にあっても、成果を出し、現実を変えているのです。


同じ環境下にあって、
暗いニュースや、悲観的な話題にばかり同調する人、
嘆き悲しんでいるばかりで、何ら努力をしない人、
職場や、政府など、他の人の救済に依存している人、
こういった人が大多数であったことでしょう。

しかし、時代を変革してきた人は、暗き想念に流されません。
志をもち、自らの意思で、前向きな考え方を堅持し続けています。
その意思の力が、目に表れ、言葉に現れ、態度や行動に顕れます。
受け取る情報が変わり、反応が変わり、アウトプットが変わります。
こうして、意識的に「考えをコントロール」することで、
プラスの変化を生み出し、運命を変えているのです。


「考える」ことは、大変なことなのです。



■考えるコツ

「考える」ことは、
運命を変えてしまうほどの力を持っているにもかかわらず、
日頃、意識して考えている人は、
意外に少ないのではないでしょうか?


「考える」とは、入口は広きものであったとしても、その奥は深く、
本当は、禅寺にでも篭って、探求すべき課題であるといえます。

しかし、そんな悠長なことを言っていては、
今現在の厳しき環境を乗り越えるために間に合わない!
と、おっしゃる方もあることでしょう。

そこで、自分の考え方が、
自ら望む成果を上げる「考え方」となるよう、
考え方をコントロールするコツ及びチェック法について、
簡単なものをご紹介してみたいと思います。




(1)自分が「本心で」願っていることは何か?:目標の明確化


考え方をコントロールするためには、
まず、「自らが本心で求めている世界」はいかなるものであるか
明確にすることから始めます。

なぜなら、目的地と、向かう方向が違えば、
成果はちぐはぐなものになってしまうからです。
きわめて簡単で、当然の結末です。

しかし、この簡単なステップが、意外にも軽んじられ、
現実が変わらない人が、あまりにも多いのです。

あなたご自身が、常日頃、何を望んでいるのか
簡単な実験をしてみます。
あまり難しく考えず、本音ベースで次の質問に答えてみてください。


=【質問1】=======================

 神様が急に目の前に現れ
「汝の、願いを何でも叶えてあげよう」とおっしゃっています。

さあ、あなたは、何をお願いしますか?

神様は次のマバタキで消えてしまいます。
マバタキするまでに、願いを伝えてください。

=============================

さて、皆様は何をお願いされたでしょうか?


例えば、受験合格や、家族の健康、結婚願望、子宝、ローンの返済、
資金繰り、倒産回避、人事掌握、給料アップ、新事業の成功、
社員のリストラをしない方法、リストラされない方法
・・・など、その願いは様々であり、切実なものでしょう。

しかし、ここに一つの傾向があります。
実は、「本音ベース」で、考えに、考え、考え続けていることだけが、
咄嗟に思い浮かぶということです。

単に、お仕着せで考えていることや、
表面的に取り繕っていることは、瞬間的に出てきません。

常日頃考えていることが、意外に出てこなかった・・・と
驚かれている方もあったことでしょう。

また、「あれもこれも」と考えが総花的になってしまい、
何一つ願うこともできず、不用意にマバタキをしてしまった!
という方も、結構おられたのではないでしょうか。


逆に、願い事を克明に述べるため、マバタキを必死でこらえた方も
おられるかもしれません。(流れ星はスグに消えますが、マバタキは、
ある程度、自分の意思でコントロールできて有利です。)


このように、質問に対し、各人各様の反応があったと思いますが、
何をどう答えたら「正解だ」というものではありません。
あくまでも、「自分が何を考え、何を願っている人間であるのか」
という、自分の本音を知ることが大切なのです。


「自分はもっと高尚な願いを持っているのに!」という方も
おられるはずです。ご安心下さい。これは本番ではありません。

もし、今、納得のいく「願い」でなかったならば、
不意にやってくる機会であっても、それを逃すことのないよう、
明確に、明確に、思い描き、常に準備しておくことです。

チャンスを逃さず、微かな可能性であっても確実にモノにすること。
そのためには瞬発的に動けるような、基本訓練が必要なのです。


結局、自分が実現したい理想や目標を実現することに対し、
自然に動きがとれるようになるまで落とし込むこと。
癖や習慣になり、考えようとしなくても、常々考えていること。
この、理想の明確化と浸透・訓練が、
「考え方」をコントロールする第一歩なのです。



(2)その目標は正当なものであるか?:目標の検証


さて、あなたが、日々、何を考え、何を願い・目標とするのか、
明確になってきたでしょうか?


ここで、もう一度、神様にお願いできるチャンスがありますので、
次の質問に進む前に、自分の考えを整理してください。

  ・
  ・
  ・
  ・
  ・

では、次の質問に移ります。


=【質問2】=======================

神様が、あなたの目の前を通過されます。

あなたの目の前を通られる瞬間に、願い事をお伝えできます。

神様が、振り向いてでも願いを聞き、
その願いを叶えたくなるものであるよう、
説得的に願いごとを伝えてください。

=============================


神様へのプレゼンテーションは、いかがでしたでしょうか?


ご自身の願いが叶うということは、素晴らしいことではありますが、
ここで一つの問題があります。


それは、「欲望の肥大化」です。


単に願いが叶うことが良いというわけではありません。
例えば、宝くじに当たるように、単発で欲望が叶った場合、
瞬間的には成功したようであっても、それは砂上の楼閣であり、
欲望が叶うことが、次の破局の引き金となる場合があります。


それが「正当」な願いであり、願いが叶うことで「成長」があり、
次の成功への「ステップ」となるからこそ、成功と言えます。
                     【3Sの成功】


更に、成功し続け、大きく展開していくためには
他の人の協力ということも必要になってきます。
他の人の協力を得るためには、それが個人のためだけでなく、
多くの人を利するものであり、協力したくなる要因が必要です。


その願いに「大義名分」があり、
他の人にとっても「納得」のいくものであるからこそ、
「言葉」に迫力が伴い、協力者が現れてくるのです。
                     【3S大納言の成功】


このように、他の人の協力が得られる「3S大納言の成功(仮称)」
であってこそ、思い描いた理想が単発で終わらず、拡大発展し、
厳しい環境にあって実現し続けるものとなります。
(そして、この成功の循環の中で、次第に志が成長し、私心なく、
ただひたすら天命に生きるという、次なる成功の軌道に入ります。)


個人の成功「3Sの成功」や、他の人の協力を得ることのできる
「3S大納言の成功」を牽引する「考え方」であるか・否かは、
【質問2】のように「神様を振り向かせるだけの魅力があるか?」
「神様が協力したくなるものであるか?」と、シュミレーション
してみることで、チェックが可能です。


注意点:
単なる自己満足とならないよう、他の人の意見も確認して下さい。
ただし、他の人の「そんなの無理だ」「意味ない」といった悲観的な
意見に負けない意志力も必要です。他の人の意見に謙虚に耳を傾け、
かつ、理想も実現していくよう、調整・バランスが必要です。



以上、どんな環境にあっても、自ら望む成果を上げる「考え方」と、
考え方をコントロールするコツ及び簡単なチェック法について、
ご紹介しました。今回は、2008年の締めくくりでもありますし、
オマケとして、厳しい時代に負けにくくなる「考える訓練法」も、
少しだけご紹介しておきたいと思います。


=============================

厳しい時代にチャンスあり!「考える訓練法」

(1)プラスとマイナスを書き出す。

まず、用紙を二つに折り、左側にあなたがマイナスだと思うこと、
右側にプラスだと思うことを列記してみてください。
例 短所/長所、逆境/順境、阻害要因/支援や協力
      為替や株価の影響、政策、地理的要因、世界情勢、
      環境問題、食料問題、その中での我社(自分)の立場


(2)マイナスとプラスを入れ替える。

書き出した内容について、一方的なものの見方や、型にはまった
考え方をしている可能性はありませんか?
プラスに潜むマイナス面や、マイナスの持つプラスの可能性を
考えて見ます。

「+」⇒「−」
・プラス欄に書き出した要素に内在するリスクは何でしょうか?
・今はプラスであっても、マイナスに転じたらどうなりますか?
・プラスと思っている前提が崩れた場合、何が起こりますか?
・自分にとってプラスであっても、人によってはマイナスになる
ものは何でしょうか?その人がその要因を取り除こうとしたら
どうなるでしょうか?
・全てのプラスに潜む、マイナス面を考えてください。

「−」⇒「+」
・マイナス欄の要素を反対側から見ると、何らかの可能性を
持っているのではありませんか?
・今はマイナスだからこそ、これがプラスに転じた時、獲得する
ポイントが大きいと思えるものはありませんか?
・マイナスの前提が崩れたときに、プラスに転じるものは何ですか?
・一般にマイナスと思われていることが、商機になりませんか?
・マスコミなどの意見を鵜呑みにし、マイナスと思い込んでいる
 ものはありませんか?
・全てのマイナスに潜む、プラスの可能性について考えてください。

==============================
以上が、厳しい時代に負けにくくなる「考える訓練法」です。
実は、この訓練は、マイナス要素が多い時ほど、プラスの要因が
ドンドン出てくるという、「今」が使い時のスグレモノです。

使いこなせば、これだけでもかなりの価値を生み出せますので、
年末年始にジックリ時間をとったり、移動や、大掃除などの際、
肉体を動かしながら考えたり、テレビや新聞を読みながら訓練
するのも良いかと思います。

ぜひ、「考えるコツ」をお使いいただき、新年の初詣において、
力強くご祈念いただくと良いかと存じます。
皆様にとって、あと二週間が益々充実したものとなり、
来年の更なる成功を牽引するものとなりますよう、心より願います。

それでは、皆様、良い年をお迎え下さい。

        SAA スピリット・アドバイザー・アカデミー


 


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≪120≫ 不撓不屈の企業家精神

2008/11/03 23:03


世界各国が経済的に衰弱している昨今、
証券や株価は、一時の半値になり、
巷では、百年に一度の危機と騒がれています。

また、経済は循環しており、株価に半年〜1年遅れて
実体経済が連動するという傾向があります。

つまり、今後1年間が、実体経済の勝負どころとなるわけです。


昨今のように、相互依存が強い国際社会では、
為替の影響、景気の悪化に伴う減収など、
企業として避けて通れない問題が、次々と起こってくるでしょう。


また、11月4日のアメリカ大統領選以降、
日米のあり方、国際社会における位置づけなども、
少しずつ変化し、企業への影響もあるでしょう。


ただ、客観的情勢として逆境であっても、
それは全体的なことであって、個別では違いがあります。


実際に、平成20年11月2日の日経新聞によると、
四半期ベースで、6社に1社(約16%)が、
この騒ぎの中で、最高益の更新を見込んでいます。


これは一つの希望です。


この、百年に一度の危機にあっても、
発展を続ける、強い企業があるのです。
今後益々、逆境にあって発展し続ける企業が増えることを願い、
不撓不屈のリーダー像について、考えてみたいと思います。




■言い訳をしない

まず、不撓不屈のリーダーとなるための必須条件は、
「言い訳をしないこと」です。

確かに、景気が悪い、人が信用できない、お金が借りられない…等、
次々に、言い訳にしたいことが出てくるでしょう。

そして、世間も、ある程度の同意は示してくれるでしょう。

しかし、気をつけてください。
同意を示したからといって、誰も助けてはくれません。

なぜなら、言い訳をする人は、
責任を取ることができないからです。
責任が取れない人を信用するほど、世の中は甘くありません。

また、言い訳を考える人は、未来を考える「余裕」がありません。
未来を見通すことができないため、結果を焦ります。
結果を出そうと焦燥感が募り、急いてことを仕損じます。
こうして、また、言い訳の悪循環に埋没するのです。


考えても見てください。行き先を指し示すことができない上に、
結果ばかりを急ぎ、失敗の原因を自分以外に帰する人に、
協力することができるでしょうか?
客観的に考えれば当然の帰結が、分からなくなるのです。


人々がリーダーに求めているのは、「未来への答え」です。


道は衰退しかないのか? それとも、発展の芽はあるのか?
発展の可能性があるならば、それはどのように実現すべきか?
今、何をなすべきなのか?
多くの人が、この答えを待ち望んでいます。


リーダーとは、人々に対し、
この「未来」を与えてゆかなければなりません。


過去は、未来のための筋肉トレーニングのようなものです。
とった責任の重さに応じて、筋肉がつきます。
そして、その筋肉を跳躍力の基礎とし、
未来を俯瞰することができるようになります。
過去の責任は、未来に活かすものとなり、輝きを増すのです。

そのためにも、まず、一切の言い訳を廃すことです。
そして、未来に対する答えを、責任でもって決断し、
自ら信ずるところに従い、責任を持って人々に未来を与えること。
それが、リーダーの使命であり、責任であるのです。



■最善を尽くす


そして、不撓不屈であるためには、
常に「最善を尽し続ける」気概が必要です。
(これは、言い訳をしないための精神的担保ともなります。)


つまり、決断までの限られた時間に、質の良い情報を集め、
考えに考え抜いた末に、最善の判断を下し続けることです。


決断には、責任が伴います。
特に、経営者ともなれば、
従業員や、その家族、取引先等…等、
その決断の及ぼす影響は、計り知れないものとなります。


できるならば、先延ばしにしたい。
そう願うのも、もっともです。


しかし、決断のときは、待ってはくれません。
現状は、情け容赦なく決断を迫ります。
問題を先送りした分だけ、事態が複雑に絡み合い、
手の付けられない状態になることが多いのです。


だからこそ、限られた時間の中で、
より質の高い情報を集め、
あらゆる角度からシュミレーションし、
最善と思われる選択を決断することです。


答えがAかBかの選択しかなく、
正解・不正解のどちらかしかないならば、
決断も、どんなに楽かしれません。


しかし、正しい答えなど、最初からあるわけではなく、
どれもがプラスとマイナスを含んでいます。
最善を尽くし続ける中で、結果として正しい答えに成長してくる
それが真実です。

そして、世の中が動き続ける以上、その選択は無限に続きます。
あるときの正しさが、次の敗北要因になることもあります。
だからこそ、一つ駄目でも、次の手、その次の手と、
常にシュミレーションし、厚みある判断材料をストックし、
その時の最善を尽くし続けることが必要です。

シュミレーションで、ある程度のリスクを予測しているならば、
失敗したときの割切りも早く、次の一手に素早く移れます。
これを、コンティンジェンシープランといいますが、
要は、「Aが駄目になったら、Bに移行し、被害を最小限に食止める」
ということです。これも、一つの最善の策であります。


このように、情報を集め、考えに、考え、
時々刻々と移り変る現況にあわせ、
その時における「最善」のシナリオを選択しつづけるからこそ、
その思考の厚みにより、打たれ強い、不撓不屈のリーダーへと
成長してゆくのです。




■決断は、実行されてこそ意味がある。


企業の未来を選択をしたならば、
次に、その選択を、自分固有のものとせず、
一人でも多くの人と共有し、一致団結することが必要です。

どんなに考えに、考え抜いて出した「最善の策」であっても、
現場の人々が、その内容を理解せず、実行しなければ、
苦労して答えを出した意味がありません。

実行されるためには、何度でも、何度でも、
そのヴィジョンを伝え、必要性を訴えることです。



特に、不況時には、戦力を集中し、
収益の源を求めることが必要です。


ともすれば、被害を最小限にとどめようと、守りに入りがちです。
特に、不況期にあっては、守りの正当性は、皆の納得する所であり、
判断としても被害の少ない無難なもののように思えます。


しかし、無難な決断だけでは、未来は拓けません。
例えば、経費だけを削減しても、企業体力が弱り、
競合他社との戦いに敗れ、倒産する可能性が高まるだけです。



大事なのは、戦力の「削減」ではなく、戦力の「集中」です。
リーダーは、未来のために、何に戦力を集中させるべきか、
明確にしなければなりません。


そして、戦力を集中させる大義名分は、
公明正大であることです。


世の中のために、我社が護りきらねばならないと思うからこそ、
そこに、使命感と情熱を持つ人が引き寄せられます。
我社の収益確保のために…というだけであれば、
実力のある人ほど、その実現は競合他社で行なった方が安全だ
…との計算が働きます。

しかし、志は、利害計算を超えた感化力を持ちます。

論理的に収益確保を訴えるより、
大義名分を打ち出すほうが、確実に人々の心を動かし、
行動を変えていくのです。

そして、リーダーの決断が、人々の行動を変えたとき、
その志しが、確固たる実現力を持つものとなります。


たとえ逆境にあろうとも、失敗に悔し涙を流そうとも、
それを乗越えた先に価値を見出すからこそ、
人は、何度でも立ち上がり、実現しようと努力するのです。


このように、リーダーが下した決断が、
高き志によって感化力を持ち、
自らに与えられた使命を果たそうとする集団に広がってこそ、
その力が具現化され、意味を持つものとなります。
その実現力が、企業を、そして、世の中を変えていきます。


ここに、使命感で一つになった、
不撓不屈の企業が誕生するのです。


その意味で、この百年に一度の逆境は、一つのチャンスです。


ぜひとも、この一年間が、
不撓不屈の企業家誕生の孵化器となり、
未来に羽ばたく、眞企業創生の機会となりますことを、
心より願っております。


===========================
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回の発行は12月15日頃となります。



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